中国南東部の安徽省にある小さな村・西逓(せいてい)と宏村(こうそん)は数少ない中国の伝統住宅が並ぶ村。ここは「徽派建築」と呼ばれる、漆喰を塗った白い壁と濃灰色の瓦屋根が並び、今でも14〜20世紀の住居に、街路や水利施設などが当時のまま残っています。
ここでは安徽南部の古村落-西逓と宏村がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、西逓と宏村について詳しくなること間違いなし!
中国の世界遺産一覧はこちら 目次安徽南部の古村落-西逓と宏村とは?画像素材:shutterstock安徽省の南部に位置する黄山市には、西逓と宏村という2つの伝統的な村があり、かつては商業で栄え、ここは14〜20世紀にかけて建築様式や装飾など、この地域独自の文化が発展した地。
この2つの村々の安徽省独自の建築物は独特で「徽派建築」と呼ばれる、漆喰を塗った白い壁と濃灰色の瓦屋根が並び、切妻屋根は豪華な装飾が加えられているというのが特徴。厳格な家長制度があり、儒教が根付いた封建社会の文学者や官僚の文化的思想が反映されたもの。ここは600年以上にも歴史を持ち、科学や文化、美術などが発展し、ここは中国の村の典型的な例となりました。
西逓(せいてい)画像素材:shutterstock11世紀に起源を持ち、山々に囲まれた地に3つの小川に沿って建造され、もともと河川の西側に建造されたことから「西川」と呼ばれ、物品を輸送する際の駅として利用されたことから「逓(宿場)」となり、「西逓」となりました。
ここは15世紀に商業で成功し、建築物や道路、橋などが建造。その後も発展していき、村には224もの古民家が残り、「古代民居の博物館」と呼ばれています。特に村の前にあり、門のような存在である「牌坊(ぱいろう)」は豪華な装飾が加えられた建造物で有名。
宏村(こうそん)画像素材:shutterstock西逓より北へ約15kmの位置にあり、世界遺産に登録されている黄山の南西に位置する集落。ここも11世紀の北宋時代に汪氏一族によって建設。ここは丘の麓にあって2つの泉があり、集落の南には川の水を引き入れ、広大な人造湖である南湖が作られました。
遠くから眺めると南湖に浮かぶように古民家が137棟が現存。今でも水利施設が残り、絵のような美しい景観が続きます。もともと南湖のそばには「南湖書院」という学校があったのですが、これは文化大革命時に破壊。現在は再建されています。
安徽南部の古村落-西逓と宏村はどんな理由で世界遺産に登録されているの?画像素材:shutterstock西逓と宏村が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)西逓と宏村は、封建時代の中国において商業の発展によって繁栄した居住地が残るという点。
登録基準(iv)西逓と宏村の建築物と街路は、長い中国の歴史において居住地における社会経済の構造を示すものであるということ。
登録基準(v)中国の伝統的な郊外の集落は、過去100年間に多くが姿を消したものの、西逓と宏村のは非常によく保存されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想西逓と宏村は、封建時代に商業で繁栄した居住地の姿を残し、ここは消えゆく伝統的な村々の中でも保存状態が良く、当時の社会構造が見られるという点で評価されています。
ちなみに宏村の構造は「ウシ」の姿に例えられ、西の丘が首で、西側の入口が角、南湖に浮かぶ2本の橋が足とされています。よろしければ、再度上の画像を見てみてください。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。
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